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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [14]




「唐渓は知っていますよ。私も卒業生ですから」
「え? そうなんですか?」
「えぇ、申し遅れました。私、霞流慎二と申します」
「え? しんじ」
 思わず名を呼び、慌てて両手で口を押さえる。
「おや、私の名をご存知で?」
「あ、いえ、あの、えっと」
 口ごもる。頭は混乱し、適当な言い訳も思いつかない。そんな相手に、慎二は小首を傾げる。
 そんな些細な仕草ですら、陽の光が零れるかのような品の良い輝きを感じる。
 この人が、霞流慎二。
 瑠駆真の言葉が甦る。

「霞流慎二と美鶴の事を、何か知っているのか?」

「私の事を、何かご存知なのですか?」
 不思議そうに右手をそっと自らの顎に当て、覗き込むように身を屈めた。涼しい瞳の奥が、記憶を辿るように輝きを増す。まるで吸い込まれそうなほどの真摯(しんし)な光をまっすぐに向けられ、緩は、本当に吸い込まれるのではないかと錯覚すらした。
 その瞳の奥には、別の世界が広がっている。そんな気がする。それは、この世とは違う、もっと清純で洗礼された世界。
 緩は、非現実が嫌いではない。
「あの、あなたは、大迫美鶴という生徒を、ご存知、ですか?」
 慎二の瞳が、少しだけ揺れた。
「古い、路面電車の駅舎の管理をしている唐渓の生徒なのですが」
「あぁ、存じていますよ」
 サラリと答える。
「確かに管理をお願いしています。あなたも大迫さんの事をご存知なのですか?」
「あ、えっと」
「確か、大迫さんは三年生のはず。あなたは二年生でしたよね?」
「え、えぇ」
「数十年も前に比べれば一学年の人数はそう多くはないとは思いますが、それでも他学年の」
 そこで慎二は言葉を切る。そうして、優しい表情を瞳に乗せた。
「彼女は、やはり唐渓では有名ですか?」
「え?」
「私も唐渓の卒業生です。校風くらいは理解している。大迫さんの立場も、ね」
「あ、あぁ」
「彼女のような生徒が唐渓に入学するのは珍しくもないようですけれど、それでもやはり目立ちますよね」
「まぁ、そうですね」
「それにしても、だいたいは中途退学してしまうものなのに、彼女はもう三年生ですか。しばらくお会いはしていませんが、きっとこの調子だと卒業までしてしまいそうですね。すごいですよね」
「ふてぶてしいだけだと思います」
 慎二の口元が微妙に歪む。だが、膝に紅茶のカップを乗せて少し俯き加減の緩には見えない。
 どうしてだろう。ひどく苛立つ。
 あの大迫美鶴が、なぜ? 山脇瑠駆真に想われ、羨ましいとは思わないが義兄にも言い寄られ、そうして、こんな富丘の屋敷で住まう貴公子のような青年にまで褒め称えられるなんて。
 なぜあの大迫美鶴が? 納得できない。
「ふてぶてしい?」
 思わず口にしてしまった言葉を、はしたないとは思いながらも、緩は否定はしない。
「本人の居ない場所で人の事を悪く言うのは気が引けるのですけれど」
 言い訳で前置きする。
「あの方は、学校では無愛想で、他人に対しても嫌味のような態度しか取らないし」
「ほう」
「あの、本当に、悪口を言うつもりはないのですけれど」
「構いません」
 慎二は、心底興味が惹かれたという表情で、そっとソファーに腰を下ろす。近寄り過ぎないよう、微妙に緩との間に間隔を開ける。その距離が、緩にはひどく心優しい行為の現れてあるように感じた。馴れ馴れしく傍に寄ってくるような下品さが無い。
「実は、正直のところを申しますと、私は大迫さんの唐渓での様子については何も知らないのですよ。駅舎の管理をお願いするのに、そこまで調べる必要も無いだろうと思いまして。素性はどうあれ唐渓に通う生徒なのですからそれなりに信頼のできる方なのだろうと勝手に解釈をしておりました」
 少し恥じ入るようなモノ言い。
「唐渓は、世間的にも信頼の高い学校です。そう思うのも当然だと思います。むしろ、そんな唐渓の信頼を損なうような存在の大迫美鶴、先輩が、問題なのだと思います」
「お話を伺いますと、どうやら何か問題がおありのようですね。その、彼女の存在に」
 緩はそっと上目遣いで相手を見上げた。
 まっすぐに向けられた瞳は真摯で、居ずまいは美しく、その表情は実直で、穢れない。
 穏やかで優しげなのに、どことなく圧倒されるようなその誠実さに、緩は生唾を呑んだ。
 この人は、すごいかも。
 それは見た目の美しさでもあり、仕草でもあり、内から出る誠意でもある。
 霞流の人間なのだから、それなりに社会的にも地位のある人なんだよね。だったら、それなりに社会的責任や信頼も持ち合わせているんだろうから、そういう人なら信用できるのかもしれない。
 こんなに綺麗な人なんだし。
 緩は再び視線を落とし、カップを抱える指に力を入れた。そうして、俯いたまま口を開いた。
「あの人は、ある人を騙そうとしているのです」
「騙す? 誰を?」
「山脇瑠駆真という人です」
「ほう」
「山脇先輩も唐渓の生徒です。大迫、先輩と同じ三年生です」
「騙すとは?」
「本当はその気も無いのに、巧みに山脇先輩の気を惹いて、その立場を利用しようとしているのです」
「立場を利用する?」
「山脇先輩は、実は中東のラテフィルという小国の皇族なのです」
「ほうっ」
 それは初耳だ。







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